キジキジ

漫画やアニメやテレビや新聞などの影響を受けた話を書きたい ゆるい感じで

Best of クズで賞

賞味期限と消費期限の間みたいに中途半端に腐っていってる。

「人は実行してから、やる気エネルギーが出る生き物である。」「目標を作っても、実行しないと何の意味もない。」…色んな人からありがたい言葉を貰うが、それでも行動に移せない。自分はBest of クズで賞をもらっていいと思う。

ヒトリ

 ヒトリで生きていくのは辛い。何をしても虚しくなる。けれど、自分から行動して誰かと承認欲求を満たし合うほど強くはない。

 そんな弱い人間のために現代では、ネットである程度補充できるようになった。誰かと関係することによる煩わしさが生じることはネットではほとんどなく、ゆるくつながり合う。いまの日本の社会は「ゆるキャラ」「草食系」などガツガツと接触することを拒むようになってきた。人間関係の縦をできるだけ横に近づけるようになってもきている。

 

 

 人は一般的ではないものに惹かれる。人間関係を広げるために必要な一つだ。女優の世界では、美人。漫画の世界では、写実的な画や巧みな物語。一般的な友人関係の世界では 「他の人が発しない会話」  が出来る人。 「他の人が発しない会話」 というものを作り出すのは非常に難しいのだが、それがバラエティの世界でできている人は長く弱肉強食の場で生き残っている。自分であるというオリジナリティを強烈に印象づけると共に「この人と一緒にいたら面白そう」と感じさせるその力が、あるからだ。

その力を漫画の世界で最近感じた。「アゲイン」という作品なんだけど、以下ネタバレ含みます。

 

 

主人公が卒業式にタイムスリップして3年前の入学式からやり直すことになり、応援部を復興させるために突き進むというあらすじ。主人公はアゲインしているので、応援する野球部が負けることを知っている。応援する場を増やすためにも野球部には勝って欲しい。アゲインする前の世界で負けた原因はエースがいなかったこと。繰り返さないため、1年のエースの鈴木を主人公がケアすることにした。鈴木はマネージャーのことが好きなのだが、マネージャーは野球部キャプテンと付き合っている。そのことを後になって知った鈴木はショックの余り、学校をサボリ家で「俺の高校野球部のマネージャーがこんなにヤリマンなわけない」というAVを見る(笑)

このジャケットが似すぎて面白かった。それはともかくとして、金髪主人公は鈴木の家に乗り込み話し込んでいたら、マネージャーとキャプテンもやってきて「私は野球をやってる鈴木が好きだよ」「俺は野球の才能がある方がいいよ」「こんなことでくじけてる場合じゃないよ」

それを受け、主人公は「いつまで青春ごっこやってるの?」「よってたかって、鈴木を可哀想扱いしやがって。それを決めるのはお前らじゃねぇ、鈴木自身なんだよ。野球をやってない鈴木をクズ扱いすんな!」

この言葉!!

こういう言葉を言える人間が現代だと重宝される。絶対に!

 

モテたい!

雨宮まみ峰なゆかのトークセッションをみました。

とにかくモテに対する意識と周りに対する俯瞰的な見方が優れてた。

峰なゆかが言っていた、男のセフレ的テクニック「男が非モテなんて言って、甘えるな!」「男は外見がどうこうじゃなくて、まず権威やお金を手に入れたら女の子を口説ける。そして、自信をもっていけばヤレル。とにかく、金ですよ!金で自信を得る!」

思わず笑ってしまったw

雨宮まみは「自信のない女の子やこじらせ系女子に有効なのは、最初は○○さんといって後から『○○さぁ~、そういうところがダメなんだよ』って相手の欠点を説教するように言っていけば「あ、私この人についていけば私の欠点をなんとかしてくれるかも』って勘違いさせる。周りの子がそうして、女の子をゲットしていったの何人も見かけた。」「マウントポジションみたいなもので、相手を下につかせて完全に分からせていって「え、やるでしょ?」みたいな状況にさせる」「清く正しい男子には使って欲しくないけど、クリスマス前にどうしてもって人は・・・」

 これはやりたくないし、やったらひかれそうなのでやらない。このテクニックは似合う人と似合う人がいるよなぁ。

 

 

まあ、男はとにかく金と自信があればなんとかなる!

http://www.ustream.tv/recorded/19708499

 

ゼノギアス

[ゼノギアス]

 誰もが納得いく作品ではないと思います。ただ、良くも悪くも記憶に強烈な蹄を残していく作品ではあります。人はバンバン死ぬし、悲しむことが余りにも多過ぎるんです。なぜそうなったのか、またどの国がどのキャラがこんなことを起こしたのかの過程が面白かった。

 ここから、ちょいネタバレ含みます。

 

 

 

 要は、ソラリスって国がめっちゃ悪い国で、下界の人間にとんでもない仕掛けを施します。尊厳なんて知ったことないとばかりに情報を勝手に取っていたり、行動を勝手に歪められます。このソラリスという国をメインに主人公サイドとソラリスサイドとの戦いという簡単な話かというと、そうでもない。主人公を取り囲む謎のキャラはいっぱいいてそれが味方ともつながっているけれど敵ともつながっていることがある。専門用語は大量に出てきて、世界征服っぽいことをやろうとしているのは分かるんだけど専門用語に専門用語で重ねてくるので把握しづらい。

 けれど後々になって、少しずつ意味が分かってきて敵っぽいキャラはいいやつだったんだなって分かったりする。逆に、敵がただの敵でなかったり、敵が昔の味方であったりと背後関係を濃密に詰め込んでいる面白さもこの作品の味わい深さでもあります。

 あと、この作品の一番注目すべきところは「人を人として考えるのではなく生物として扱っている」ことによって、人間が行動する醜さとそれに反対する人間の行動の美しさだと思います。例えば、DNAを弄り回してソラリスに反対できなくしたり、ある国とある国の戦争が長引くのはソラリスによって全て仕組まれていて来るべき日のための情報収集にしか過ぎなかったこと。それらがSF的に宇宙物質やクローンや転生などの概念を組み合わせて世界観が広がっていきます。

 最後の方だと、苦しみが余りにも多すぎてゲームをしたくなくなりました。それでもやろうと思ったのはドラマ「それでも生きていく」に近いんでしょうけど「希望を捨てない力」の強さを信じたかったからです。主人公サイドの可能性は僅かでも立ち向かっていく姿勢に自分も賛成したからです。

 人間が生み出す概念は生物的もしくはSF的(?)に考えるとずいぶんと概念が広がり、尊厳が失われるんだなって感じたのがこの作品の一番強かった気持ちだと思います。

 

 

 言い訳になるけど、このゲームは余りにも難解でレビューもずいぶんとっ散らかった文章になってしまった。。。

名作デジモンワールドが如何に面白いのかについて・・・・

 今回紹介する初代デジモンワールドが発売されたのは1999年で、当時パソコンが徐々に浸透し始めてきた頃。そんな時にデジタルワールドにのみ存在するモンスター(デジモン)を育成してバトルするゲームだと・・・こんなもの当時の小学生が喜ぶに決まってる!ありがとうバンダイ!

 

 あらすじを言っておくと、デジモンで遊んでいる子供が主人公である日急にデジタルワールドに入り込んでしまって、迷い込んだ先の世界は空き地同然の街でくたびれていた。そこで復興させるために色んなデジモンと交渉して、街に来てもらうように誘うようにジジイから指示されるので「よし、キタ」と主人公が励んでいく。

 ジャンルとしては育成シュミレーションゲームだと思う。朝、昼、夜と背景が変わっていき1日の終わりには寝る。

 と、これ重要な点なんだけどこの世界ではデジモン野糞を普通にしちゃう世界。もう火山だろうが、ゴミ山だろうが、ジャングルだろうが、どこでもプリッとうんこ出しちゃう(笑)

ただ、それをするのはデジタルな世界でもよくないことなので本来はきちんとトイレでさせることで良いデジモンに育っていく。野糞をしすぎると、スカモンっていうグロテスクなうんこうんこになってしまう。だからきちんとオレが間違えないように育てているぞっていう感触がある。

 ただ、必死に育てていても、死ぬ時は死ぬ。そして次は卵になってまた生まれ変わる。俺、ペットすら飼ったことないけど闘牛を育てるってこういうことなんじゃないかと思う。闘いに向かわせるために育てているのと、可愛い面と可愛くない面と育てるのが少し面倒だなって思う面が闘牛と似てるんじゃないかな。

 

 このゲームは完全な弱肉強食世界で、炭鉱場所でデジモンがいるので面白そうだなと近づいたらバトルでボッコボコにされたりするの。理不尽なとこもデジタルワールドの厳しさと、自由の代償を思い知るんだよね。それでココはまだいっちゃいけないなって頭の中で把握していきながら見知らぬ土地―雪山やおもちゃまみれの部屋や機械工場―に行く冒険。これがたまらなく、面白かった。当時、PSのグラフィックであそこまで綺麗に表示される背景でデジモンワールドを表現してくれるなんてもう・・・・嬉しい!

 見知らぬ土地でデジモンが街に来てくれないかって誘っても色んなデジモンがいて、そうそうイエスとは言ってくれない。条件は色々あって、バトルがメインだから戦うことは多いと言えば多いがミニゲームをして仲間になってもらうこともしばしばある。例えば、バイトをしてくれと言われたり、リアルあみだくじで勝ったらと言われたり、釣りでレアな魚をとったらと言われたり、多種多様なことができる。

 これが街の復興のためっていう名目付きでミニゲームが出来るわけで、目的のために頑張れるし遊べる。これ、久保ミツロウ先生が言ってた1Way2Jobだ。どういう言葉かというと、1つの仕事で二つの意味を作る。漫画だと、1つのコマで登場人物が「大丈夫か?」と仮にしゃべっていたとする。書き文字で「でも、仕事に来てくれたのか」と言うことで、無事を心配していることと、来てくれたことに対する感謝と両方の心情が描写される。

 ちょっと話それたんで、もうまとめに入るけど要はこのゲームで何が面白いって育成感と冒険感。1日中ずーっと一緒にいてトレーニングして愛着が増えていきながらそいつとまだ見ぬ場所を冒険して街を栄えさせる。こんなたまらないゲームのシステムをそのままに、2012年にデジモンワールドリデジタイズとして発売される!

 

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